獅子が鼻と穂の国を歩く~めぐみ農場日誌№144 28 Feb.ー 7 Mar.2021

2/28(日)早朝5時起きで朝食を作ったら白脇ファーマーズ、芽キャベツ12パック→共販5ケース→三方原ファーマーズ芽キャベツ5パック。帰宅後、シンク・風呂・トイレ掃除。これでやっと一息。ポカポカといい天気だったので、souとお出かけ。先週の湖西連峰大知波廃寺に続いて、山岳修験道の聖地、獅子が鼻公園へ。
ここは、souが小さい頃行ったと思っていたけれど、もしかしたら、僕一人で行ったのかも知れない。souが覚えていないという。敷地の谷は、穏やかな、不思議な世界。今日のような、春が始まる日には、ぴったり。
岩室廃寺跡は、礎石がごろごろしている。周辺の三重の塔跡、金堂跡も含めて大きな寺院だったことが分かる。見付の国分寺の瓦がでているので、古代から平安にかけてのつながりがある寺院。律令の国家仏教から山岳密教にうつる過程を示しているのだろう。この敷地の谷を北上すると虫生(むしう)から百古里(すがり)にでる、古代の山の道。百古里には、北遠の山際に残る坂上田村麻呂東征伝説、将軍杉がある。きっと全てつながっているのだろう。
獅子が鼻を降りて、麓にある立派な寺院によってみた。龍寿山永安寺という。入り口に先日なくなった有馬朗人さんの立派な句碑があった。「梨の花 郵便局で日が暮れる」そうか、有馬さんは確か、浜松一中時代敷地に住んでいたことがあるはずだ。この獅子が鼻の谷の穏やかな風景と、有馬さんの青春時代が一気に結びついた。今週は有馬さんの句集を読んでみよう。
3/1(月)午前中芽キャベツ収穫4ケース。東京のお客様に5kg郵送。その後母の買い物に付き添ったら、となりの湖東高校からたくさんの親子が春風の中を出てきた。そうか、今日は卒業式なんだ。45年前からの自分の来し方を思わず振り返る。この切なさは何だろう。
午後は、気分を変えて、一気にジャガイモの植え付け、125個。(キタアカリ100 メイクイーン25)。明日は雨なので、その後マルチを張ろう。
3/2(火)雨。午前中は帳簿整理。法人客への請求書を作っていて、消費税の扱いに悩んで調べ始めた。そういうことだったのか、と思う。免税事業者であること自体とてももやもやする。消費税を取らないでいられればそれでいいのだが、法人対象はそうはいかない。とすると、消費者が払った8%は、本来自分たちがきちんと納めなければ行けない。それをしっかり確認させる仕組みが適格請求書=インボイス。
消費税=付加価値税なら、インボイスを徹底すべきなのだろう。小売り消費にだけ税をかける仕組みはできないのか、と考えていたら、やっぱりそういう仕組みはあったんだ。アメリカの売上税。小売り課税事業者を登録制にする。どちらにしても、今の日本の消費税はあまりに中途半端で、発展途上国の税制だな、と思う。
教師だった頃、所得税に比べて消費税は単純に課税できると教えていた。大間違いだった。単純なのは税率を変更するときの行政と立法だけ=中央官僚と政治家だけ。つまり、統治機構側にとって都合がいいだけ。実務はとんでもなく大変。今なら、どう教えるだろう。鶴の授業で実務の大変さがシミュレーションできるはず。社会科の授業の視点が、現場=実務=民衆側でなく統治側目線に陥りやすいことがしみじみ分かる。
3/3(水)朝4ケース共販出荷。megを送った後、午前中4ケース収穫。途中、miから、年金支給開始に伴う扶養適格喪失で、急いで書類がほしいという連絡が入る。畑と仕事部屋の間を何度も往復する。その度に泥まみれの長靴とカッパを脱いで、うんざり。前もって気にして準備しておいたから良かったものの、配偶者が年金支給になって扶養を離れることは良くあるだろうに、学校事務がなぜこんなに混乱するのか、よく分からない。
夜は合唱、浜響タンホイザー練習。みんな楽譜から目を離して指揮者を見なけりゃ。あれじゃ指揮者に失礼。
3/4(木)朝ファーマーズに芽キャベツ、タマネギを出荷。そのあと、4ケース梱包。ファーマーズの価格が安すぎてしかも売れ残る。貧困商法のようになってきた。おまけに共販も、今まで成長が遅かったのがここに来て一気に収穫が増え、JAで出荷制限をかけてきた。来週本当は毎回6ケース出荷したいと要望したのに、半分の3ケース。がっくり。こちらも読みが浅かったけれど、JA販促も読みが浅かったのだろう。販売を先方に増量要請すれば、何とかなると思うのだけど・・・
午後は、畏友の技術の先生に来てもらって、昨年来故障している一輪管理機のエンジン修理。キャブレターを外し、オーバーホール。この作業自体は、自分も2回やったのだけれど、やっぱりプロのやり方は見ていて参考になる。外した部品の置き方、ツールの選び方、指先の動き。
1時間半程作業して、再度エンジンをかけてみたら、スタータロープを二人で後退して何度も引いているうちに、バックファイアの音と煙が出たと同時にエンジンがかかった。ほんとに久しぶりに復活。あきらめないで良かった。エンジンの音がこんなに心地いいなんて。
3/5(金)早朝共販4ケースを出荷した後、ファーマーズに売れ残り回収と、めげずに次の出荷。megを送って帰宅したらすぐ次の収穫。大きすぎる玉が出てきた。出荷量を減らし、収穫が間に合わないからだ。残念だけど大きすぎるものは、ごめんねといいながら畑に捨てていく。
午後は、雨が降り出したので、銀行回り。後見申し立てについて裁判所との日時打合せ。東京法務局からの再申請書類も届いたので、これで来週、予備面接。それまでに、フランスの制度を友人に聞いておこう。夜、遅く帰宅したmiから、共済組合の保険解除の手続きが手間取っていることを聞く。共催の保険証の脱退ができなければ、国保の申請もできない。今の被扶養者保険証は「使わないでくださいね」ということで、無保険になってしまった。何が「使わないでくださいね」だ。
任意保険が切れた車の運転をしているのと同じこと。まして農業はけがが多いから、早く国保が使えないと本当に困る。年金が出て扶養を外れるだけなのに、なぜこんなに混乱しなければ行けないのか。年金の請求も、確定申告も、自分の方からは全て瑕疵なく迅速にやっているのに、共済組合と学校事務がおかしい。一体どういうことだろう。これでけがや病気になったら、自己負担の分はどうしてくれるのか。
3/6(土)朝食を作った後、ファーマーズにタマネギ、芽キャベツを出荷。帰宅後ブロッコリーを初取り、サラダにしてみる。おいしい、これなら大丈夫、出荷できる。晴れてきたので、布団を干し、掃除を済ませ、明日の芽キャベツ3ケースを梱包。お昼前になったけれど、おにぎりを作って、souと一緒に週末のお出かけ。三河国分寺周辺へ。東名で豊川インターから三河国分寺→国分尼寺・天平の里資料館→財賀寺→豊川海軍工廠平和公園。午後の半日、とても実り多いフィールドワークになった。
三河国分寺・国分尼寺は、遠江国分寺と姫街道でつながっている。畏友矢田さんも言っていたとおり、それぞれ直線の官道が寺院の前を通り、そこを歩く民衆が見上げるように巨大な七重の塔がたっていたはず。金堂・講堂よりも先に塔が建てられているという。帝国書院のイラスト原画でも、僕は塔を先に完成させて描いた。それが編集の段階で金堂が先に変わってしまっていた。やはり、自分が正しかった。それにしても、遺跡公園の復元保存の仕方が見事。平城宮址と同じような情熱を感じる。
財賀寺は、島田の奥にある智満寺をよく似る。立地、急峻な参道、本堂のつくり。やっぱり頼朝の建立だった。街道筋を通る平氏への橋頭堡のような役割なのだろう。仏像群が素晴らしい。
最後に、豊川海軍工廠へ。平和資料館ができたことは聞いていたので、行ってみたいと思っていた。見事な展示、市民公園として今に生きる紹介方法。浜松とは、大違いだ。何だろう、この違いは。人々の生活意識の中に、文化や歴史を大切に思う気持ちがあるかないか。彼我の差に愕然とする。
豊川=穂の国は、今日を皮切りにこれから何度も歩こう。souは美術部で、土日は時間があるので、一緒に色々また歩いて行こうと思う。暖かくなってきて、歩きたい。保険証のことは心配だけど、でも、時間を作り出して歩こう。